通訳コラム

通訳者へのキャリア 連載第3回 2007.08.01

大使館→会議通訳者

前編

幸い長野冬季オリンピック組織委員会に就職が決まり、渉外課で翻訳中心の仕事をすることになりました。一年と数ヶ月が過ぎたころ、駐日フィンランド大使を団長とするフィンランド経済代表団の長野訪問の際に、一日だけ通訳者として対応する機会がありました。それが縁でその後、駐日フィンランド大使館に就職することになりました。

いざ東京に来ると昔の夢がよみがえり、まずは通訳学校に通って通訳の勉強をしてみたいと思いました。幸い二つの通訳学校に入学が許されたので、月、水、金と週三日、一日の仕事を終えた後、夜のクラスに通い通訳の勉強をしました。その後二年間通い、主たる通訳学校からは修了時に、その系列の通訳会社との専属契約者への推薦を受けましたが、結局選考にもれました。そのころには、プロ通訳者志望の気持は強くなっていたものの、転職を続けたことに加え、歳も歳であったので、フリーの通訳者として仕事を始める踏ん切りがなかなかつかず、その後悶々とする日々を過ごしました。しかし、幸い一年後に同じ通訳会社からオファーがあり専属契約をすることにしました。

当初、サラリーマン生活とは違うので、果たしてやっていけるのかという不安はありました。ただこの機会を逃すと通訳者になるという、夢をかなえるチャンスは二度と来ないとも思ったので、一か八かとにかく通訳の世界に飛び込むことにしました。42歳のときでした。振り返ってみると、実に20年越しで夢がかなったことになります。

私のプロ通訳者としての出発は遅く、まだまだ未熟の域を出ず、またこの先成長するという保証も何もありませんが、この与えられたチャンスに感謝し、日々の仕事を大切にしていきたいと考えています。

通訳は、いわば瞬間の芸術で、瞬間的情報処理能力が要求されます。それは習字の大家が一筆で一気呵成に文字を書くように、瞬間瞬間に、思索的解釈ではなく、実感的解釈が取り込まれ、時間的に選択的であるというよりはむしろ決定論的です。決定論的に決まる消え行く言葉の中に意味が見出され理解が生まれます。陽炎のごとき消え行く言葉が相互理解を促し、時には人生に多大な意味を与えることもあります。言葉は空しさを知って初めてその意味が解されるということなのかもしれませんが、クライアントとの一期一会、また通訳で出会う言葉一つ一つの一「語」一会を大切にし、「意味の橋渡し」の仕事を、今が職業人生の青春のつもりで一つ一つ積み上げていきたいと思っています。

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倉澤 良仁 さん

京都外国語大学英米語学科卒。ポートランド大学大学院留学。在ネパール日本大使館、エプソン・ポートランド社、在ポートランド日本総領事館、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会、在日フィンランド大使館等勤務を経て、2000年4月より、サイマル・インターナショナル専属通訳者として、会議通訳を行う。著書に「田舎少年が挑んだ会議通訳者への道:セルバ出版」(Amazon.co.jpにリンクします)と詩集「声心:文芸社」(Amazon.co.jpにリンクします)がある。