通訳コラム

通訳者へのキャリア 連載第4回 2007.10.19

留学生→会議通訳者

いまや日中通訳者は年々忙しくなり、様々な分野で通訳をする場面が増えているように思います。会議シーズンともなると出張も含め次から次へと会議日程に追われ、事前準備に忙殺されます。

そもそも私が中国語を学ぶようになったのは、自分の興味や意思というよりも、父の赴任に伴い中国に行き、現地で高校と大学に通ったのがきっかけでした。言葉の通じないまま、いきなり現地の高校に放り込まれました。受験校でもあったので授業は容赦なく先へ進んでいく。国語、数学、物理、歴史、どの科目も基本的に漢字の世界。最初の数ヶ月は授業についていくために、教科書にびっしり並ぶ漢字の読み方と意味をひとつひとつ調べ、毎晩遅くまで半ベソをかきながら勉強したものです。今でもその頃のことが夢に出て来るくらいハードでしたが、全精力を傾注して勉強した時代。それが今の自信や励みにつながっているようにも思います。

中国留学中は通訳者になろうとは夢にも考えていませんでした。むしろ「それだけは嫌!」と思うことさえありました。ある時、現地に長期滞在中の日本人が生活条件のことで中国側に苦情をぶつけるという場に呼ばれ、「訳してくれ」と頼まれたのですが、決して気持ちのいい内容ではありませんでした。その時はつくづく「通訳なんてやりたくない!」と思ったものです。ところが大学を卒業し、日本に帰国して間もない頃、ひょんなことから青年交流のボランティア通訳をする機会に恵まれました。経験もなく、さぞやしどろもどろの訳だったろうと思いますが、大勢の人たちが真剣な眼差しでこちらを注視し、一言一言うなずきながら私の訳に耳を傾けてくれている!責任の重さを痛感しつつ、「伝えること」の楽しさを体感した瞬間でした。思えばもう20年も前のことですが、あの時の聴衆の眼差しは今でも目に焼きついています。

そうした体験から、本格的に通訳訓練を受けたいと通訳学校に入りました。そこでは通訳技能はもちろんのこと、通訳者になるには幅広い知識、洗練された母語、人間性やマナーが求められることを徹底して教わり、厳しさも知りました。向上心溢れるクラスメート達からも大いに刺激を受けました。

後編へ続く

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大森 喜久恵 さん

中国東北師範大学中国語言文学学部卒。帰国後、通訳者養成学校へ。製薬会社や法律事務所で通訳翻訳業務に従事するかたわら会議通訳を始める。現在は、日中会議通訳者として、政治、経済ほか様々な分野で活躍中。放送通訳のほか、通訳者養成学校で講師として後進の育成にも努める。