通訳コラム

通訳者へのキャリア 連載第5回 2007.11.09

留学生→会議通訳者

前編

通訳学校での勉強を終えてまもなく、初めて同時通訳のお話を頂きました。果たして自分に出来るものか迷いながらお引き受けしたものの、本番を迎えるまで食事が喉を通らないくらい緊張し、先輩通訳者に助けられながら無我夢中の「デビュー戦」となりました。1989年のことでした。

このように早い時期に通訳者としてスタートを切れたことは大変恵まれていたと思います。とはいえすぐに継続的に仕事の予定が入るわけではありませんでした。
私は、非常勤の翻訳通訳要員として製薬会社や法律事務所に身を置きながら、通訳エージェントから会議通訳の仕事を請けるという「二足のわらじ」の時代が足掛け10年近くありました。特に法律事務所では勤務時間をかなり自由にしていただき、経済や法律用語についても随分勉強させてもらうなど、会議通訳を続ける上で大変貴重な経験でした。
その後はフリーランスの会議通訳の仕事を中心に、放送通訳、通訳学校の講師を務めて今に至っています。

いまや中国を抜きに世界を語ることはできないと言われる程に中国は成長し、日中関係も多層的になっています。通訳を要する場面が増えていますが、日中両言語に通じたビジネスマンや専門家も確実に増えています。通訳パフォーマンスの質には常に厳しいチェックが入ります。そうした中で「プロの日中会議通訳者です」と言えるだけの力を維持・向上し続けるのは並大抵のことではありません。そのための常日ごろの勉強は怠れません。
また会議によって内容も状況はまちまちで、膨大な資料や書籍を前に事前勉強に追われるときもあれば、英語版の資料しか貰えなかったり、事前に資料がほとんど出なくて思うように準備ができず苦労するときなど、楽な会議など皆無に等しいですが、それでも好きだからこそ続けています。
好奇心を持ち続け、職人のように与えられた仕事をひとつひとつ、こつこつと丁寧にやっていくことが私の使命なのだと考えています。

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大森 喜久恵 さん

中国東北師範大学中国語言文学学部卒。帰国後、通訳者養成学校へ。製薬会社や法律事務所で通訳翻訳業務に従事するかたわら会議通訳を始める。現在は、日中会議通訳者として、政治、経済ほか様々な分野で活躍中。放送通訳のほか、通訳者養成学校で講師として後進の育成にも努める。