通訳コラム

通訳者へのキャリア 連載第6回 2014.05.16

映画会社→会議通訳者

私が通訳になりたいと思ったきっかけは、ある辛い体験をしたことでした。

私は帰国子女で中学を卒業するまでアメリカに住んでいました。日本に帰国して初めて字幕付き映画を見て、英語のセリフと日本語字幕の内容のズレに違和感を覚えることがありました。劇場公開映画の字幕というのは字数、行数など、かなり制約があるので字幕に違和感があって当然なのですが、当時の私はそれを知らず、とにかくこの違和感をどうにかするため「いつか字幕翻訳の仕事をしてみたい」と漠然と考えておりました。

その後、新卒で入社した総合商社を退社して仕事を探していた時に、戸田奈津子さんの本に出会いました。戸田さんが字幕翻訳を始めたきっかけが映画会社で社長秘書をしていたことだったと知り、偶然履歴書を送っていた映画会社が社長秘書を探していたので即入社を決めました。
その後、宣伝部、国際部などの仕事を経験する中で、脚本の翻訳や海外との交渉など、英語を使う仕事を任されるようになりました。

ある時、有名な外国人映画監督の電話インタヴューの交渉、セッティングをした時のことでした。直前になって監督がインタヴュー時間を1時間繰り上げたい、と言ってきました。幸いインタヴューアーは早めに来ていたのですが、通訳がいませんでした。この機会を逃すともうインタヴュー時間がもらえないかもしれない。なんとか今インタヴューを決行しなければならないということで、急遽私が通訳することになりました。
早口かつおしゃべりで有名な監督の電話インタヴューでしたので、予想通り、とても苦労しました。幸い映画のことは熟知していたのでなんとか乗り切りましたが、この時初めて通訳の難しさを痛感しました。通訳が英語力以外のスキルをいかに必要とするのか、この時まで知りませんでした。そして、通訳ができるようになりたい、という気持ちが芽生えたのはこの時でした。

その後、手に職をつけて組織に頼らない生き方をしたいと思うようになり、通訳を目指して通訳者養成学校に入学しました。急に任された通訳が上手にできなくて、その時「もっと上手に通訳ができるようになりたい」と思ったことが私の通訳としての原点であり、仕事をしている今でも毎日思う事です。

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中村 麻里 さん

4歳〜15歳までをアメリカで過ごす。慶應義塾大学法学部法律学科卒。商社、映画配給会社勤務を経て、通訳者養成学校に入学。「入門科」「通訳科」「同時通訳科」を修了し、現在はサイマル・インターナショナル専属通訳者として活躍している。