通訳コラム

ビジネス用語と概念メタファー 連載第3回 2013.09.13

M&Aのメタファー

社内通訳者として働いていた頃に、苦労した仕事として今でも記憶に残っているのがM&A(合併と買収)交渉の通訳です。普段の社内会議とは違って、法律事務所や投資銀行からアドバイザーも参加しての大人数の会議になります。M&A交渉のレトリックを理解する上で役立つと思われるのは、次の2種類のメタファーです。

戦争(略奪)メタファー
まず、敵対的買収(hostile takeover)は、戦争メタファーによって概念化されます。企業買収を戦争における領地の略奪(rape)行為とみるのです。最近のビジネス界は買収戦争(takeover war)状態です。特に直近のユーロ安局面では“Germany is fertile territory for raiders”などと言われました。企業は、公開買い付け(TOB, takeover bid)しようとする乗っ取り屋(corporate raider)に対する防御策(defense)として、価値ある資産を売却して侵略する気をなくさせる焦土作戦(scorched earth operation)を展開したりします。
結婚(恋愛)メタファー
一方、友好的買収(friendly takeover)は、結婚メタファーによって概念化されます。求婚者(suitor)である買収側は、相手から合併(marriage)に同意(accept the proposal)してもらえるよう熱心に求愛(woo)し、一定の交際期間(courtship)を経てコミットメントを固めます。買収契約の調印式(signing ceremony)は恋愛(romance)の成就(consummation)のようなものです。タイムワーナー社の買収が当局に承認されたときの記事の見出しが、“A Marriage is Blessed”でした。当局がカトリック教会に見立てられているのでしょうか。婚約前の財務状態などの身上調査である“due diligence”については、お互いに裸になって信頼関係を築くプロセスだなどと表現する人もいます。本当に大変なのは結婚生活つまり買収後の文化や制度の統合(post-merger integration)をいかに上手くできるかだと思いますが。

これら2種類のメタファーは、よく一緒にも使われます。白馬の騎士(white knight)は、買収されそうな企業の株を買って敵対的買収者(hostile bidder)から救ってくれる白馬の王子様のような存在を指します。戦いに恋愛は付き物だということでしょうか。また、“If you can't beat them, join them.(長いものには巻かれろ)”をもじった“If you can't beat them, marry them.(強いものには買われろ)”という言い回しも聞いたことがあります。

M&Aと似たようなレトリックが使われるのが業務提携です。訳語としては“alliance”と“partnership”のどちらも使われるのですが、どちらかと言うと前者は戦争、後者は結婚のメタファーに近いような気がします。買収や提携に関する語彙選択は微妙ですので、通訳する際には、どちらを使うかをクライアントと事前に確認するといいでしょう。もう一つ確認した方がいいのが“acquisition”という単語ですが、特に買収する方の会社から、「買収」とは訳さず「合併」を使ってくださいと言われることがあります。買収される側への配慮もあるのでしょう。

このように、メタファーには現実のなかのある特定の側面を目立たせ、別の側面を隠すといった特徴があります。買収を結婚に喩えることによって、「買収のアグレッシブなイメージ」を「結婚の幸福なイメージ」で戦略的に隠すことができます。記者会見などの際には「シナジー(synergy)」や「補完的な企業文化(complementary corporate culture)」など相性(chemistry)の良さが強調されます。通訳者としては話し手の意図に添った適切な語彙選択を心がけたいものです。

参考文献: Veronika Koller 著 “A Shotgun Wedding: Co-occurrence of War and Marriage Metaphors in Discourse of Mergers and Acquisitions”

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梅 佳代 さん

日系、外資系、大手数社の企業内通訳として勤務したのち、会議通訳者、ビジネス通訳者として活躍中。通訳養成学校にて講師として後進の育成に努めるとともに、企業派遣の講師としてビジネスパーソンへの英語指導も行い、その指導力の高さに定評がある。