通訳コラム

通訳の現場から 連載第28回 2018.03.14

柳のごとく

映画監督・俳優の記者会見やインタビュー通訳、映画祭通訳などの芸能通訳稼業を続けて今10年目に突入したところである。芸能界に限ったことではないが、通訳としてしばしば意識しなければならないことのひとつに、いわゆるビッグネームとの接し方や距離の取り方がある。この塩梅がなかなか難しい時がある。

稀に相手のあまりのオーラに圧倒されて足を掬われそうになることもあるが、徹底的に準備をし、通訳として求められる責務を全うできるという自信をつけて堂々と現場に臨むのが一番の対策になる。例えば、映画作品の来日キャンペーンに付くとなったら、依頼元からいただく作品資料を読んだり、ゲスト監督・俳優の過去作品、関連作品、関連書籍に目を通したりする。まあ「自信をつけるために」という以前に、通訳者として当たり前のことではあるのだが。

自らの本分においてプロとして堂々と渡り合うことができれば、相手に取り入ろうという余計な欲に駆られずにすむ。「気に入られよう」という気持ちは透いて見えるもので、相手が大物であればあるほど通用しない。

一昨年と昨年の話。マーティン・スコセッシ監督が二度にわたる来日を果たした際にその通訳を仰せつかった。一度目の来日時は「一生懸命勉強したのだから」という「我」がそうさせたのか、最初に紹介された時、「Hello!」と握手の手を差し出した時の身のこなしがいささか性急で、語勢が少し強かった気がする。通訳をする上で支障はなかったものの、どうも相手とのリズムがつかめないまま2日間が終わった。文句を言われたわけでもないのだが、なんとなく感じた空気から「これは出過ぎた」と内心反省したのであった。

二度目の来日では、監督はどうやら私のことを覚えていなかったようだ。これはしめしめと、初めて顔を合わせたかのように「Hello Sir, I’m your interpreter.」とさらりと挨拶をし、監督がインタビュー席に腰掛けるのを待ってから、すっと通訳席につき、その日のテレビ収録に入り、一通りスムーズにこなした。そして一連の取材を終えたあと、その日の最後のイベントである記者会見の会場へ向かった。今のところ無事故ということでほっと安堵していたが、それもつかの間、記者会見開始数分前にこんなことがあった。

会見会場入口付近の待機スペースで、監督とスタッフ一同で登壇の呼び込みを待っていた。私はいつものようにメモ帳の1ページ目に作品のスタッフ・キャスト一覧表と単語リストを貼り付けていたのだが、それが監督に付いているスタッフの目にとまり「Can Marty have that?」と言われてしまった。キャストやスタッフの名前を間違えて発言することのないよう手元に持ってもらったほうが安全という判断だったのだろう。「通訳の命綱が!」と思いながらも、ビリっと破りとって速やかに監督に差し出した。魔法の羽を奪われたダンボのような、だいぶ心もとない気持ちで巨匠の背後にぴったりくっついてスタスタと舞台へ上がった覚えがある。

現場に予期せぬことはつきものである。だから何事も風にゆれる柳のごとく、しなやかな心で処するのが肝心のように思う。地に根をしっかりと張って初めてできること。通訳の授業を受けにいらっしゃる受講生の皆さんにはしばしばこう言う。

「Prepare, prepare, prepare. Then, be ready to throw it all out the window.」

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今井 美穂子 さん

上智大学外国語学部英語学科卒。通訳者養成学校を2008年秋に卒業。映画配給会社を経て、フリーランスの通訳者に。主に映画業界で活躍するかたわら、一般企業でも活躍中。また、通訳者養成学校において後進の指導にあたっている。